Sunday, January 24, 2010

人生論ノート

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①人生論ノート <三木清>

哲学者・三木清の綴る人生論ノート。これは間違いなく名著だった。
頭が疲れたときに少しずつ読んだのだが、結局半分くらいしか理解できなかった。しかし、この古い書が深い洞察に富んだ、洗練されたものであることは分かった。ノートの形式も面白い。何より、3世代も上の人が綴った言葉が現代においてもなお人の心に刺さることが驚きだ。
手元に置いておき、人生に疲れたときに何度も読み直すにはもってこいの書物だ。

本書は、「死について」、「虚栄について」、「感傷について」など、人間・人生の周辺にある23の要素について、「~について」という題でそれぞれ論じていく。どんな順序で読んでもいいし、後で一つだけ読み返してもいい。まずこの形式が独特でかつ洗練されていて、座右の書に含めざるをえない。

以下、いくつかの項目について、文章を抜粋しておく。

・幸福について考えることはすでに一つの、恐らく最大の、不幸の兆しであるといわれるかも知れない。しかしながら今日の人間は果して幸福であるために幸福について考えないのであろうか。むしろ我々の時代は人々に幸福について考える気力をさえ失わせてしまったほど不幸なのではあるまいか。幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど今の世の中は不幸に充ちているのではあるまいか。(p15,幸福について)

・愛するもののために死んだ故に彼等は幸福であったのではなく、反対に、彼等は幸福であった故に愛するもののために死ねる力を有したのである。(p19,幸福について)

・人生とは或る意味では習慣がすべてである。(p31,習慣について)

・人間は虚栄によって生きている。虚栄はあらゆる人間的なもののうち最も人間的なものである。(p39,虚栄について)

・ひとは軽蔑されたと感じたとき最もよく怒る。だから自信のある者はあまり怒らない。彼の名誉心は彼の怒が短気であることを防ぐであろう。ほんとに自信のある者は静かで、しかも威厳を具えている。それは完成した性格のことである。(p57,怒について)

・嫉妬とはすべての人間が神の前においては平等であることを知らぬ者の人間の世界において平均化を求める傾向である。(p70,嫉妬について)

・あらゆる噂の根源が不安であるというのは真理を含んでいる。ひとは自己の不安から噂を作り、受取り、また伝える。(p85,噂について)

・外見上極めてよく整理されているものが必ずしも秩序のあるものでなく、むしろ一見無秩序に見えるところに却って秩序が存在するのである。この場合秩序というものが、心の秩序に関係していることは明らかである。どのような外的秩序も心の秩序に合致しない限り真の秩序ではない。心の秩序を度外視してどのように外面の秩序を整えたにしても空疎である。(p99,秩序について)

・愛は私にあるのでも相手にあるのでもなく、いわばその間にある。(p129,希望について)

・かようにして私は、個性が揺籃と共に私に贈られた贈物ではなく、私が戦いをもって獲得しなければならない理念であることを知った。(p144,個性について)



②デキルと言われる5つの仕事力 <東田一>

先輩の引越しの際に貰った一冊。
正直目新しい内容はなかった。とくに難しいことにぶちあたっているわけでもないのに、どうにもこうにもダメな状態だと感じている人はこの手の本を読んでみる価値があるかもしれない。題名はコテコテで手に取るのも小恥ずかしい本だが、いろいろ細かなエッセンスは入っている。

ちなみに著者はすでに400冊も本を出しているらしい。数が多ければいいというものではないが、それでも400冊というのは凄い。そういう見方をすれば本書にも何かヒントがあるかもしれない。

しかし本書にも書かれている「早起き」についてはどうも苦手…
どうにかならないものか。
 

Monday, January 18, 2010

ポケットに名言を

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読書メモも再開します。
最近積読癖が以前にも増してひどい。

①ポケットに名言を <寺山修司>

最高に粋な遊びにして、最高に粋な本。
こういう遊びをしようと思っていただけに、著者の考えが自分のそれに近いことに驚いた。
本書は「ことば」のスクラップブックだ。ことばそのものの力というか味を感じることができる。あとがきで著者は以下のように述べている。

“思想家の軌跡などを一切無視して、一句だけとり出して、ガムでも噛むように「名言」を噛みしめる。その反復の中で、意味は無化され、理性支配の社会と死との呪縛から解放されるような一時的な陶酔を味わう。”

“「名言」はだれかの書いた台詞であるが、すぐれた俳優は自分のことばを探し出すための出会いが、ドラマツルギーというものだということを知っているのである。”

これほど多様なソースから、サラダボールのようにことばを混ぜ込んだ名言集も他にあるまい。
ただ、その価値はよくわかる。昨年末から友人と話しているのだが、これに似たようなこと、はじめます。

最後に、寺山さん的「名言」の定義を引用しておきます。

1.呪文呪語の類
2.複製されたことば、すなわち引用可能な他人の経験
3.行為の句読点として用いられるもの
4.無意識世界への配達人
5.価値および理性の相対化を保証する証文
6.スケープゴートとしての言語

実におもしろい。


②ギャンブルにはビジネスの知恵が詰まっている <松井政就>

ギャンブルで強い人というのはビジネスでも強い。これはある程度言えることだ、というのが僕の感覚としてある。ギャンブルでは、隠すことができないその人固有の強さと弱さが出る。その人のベースになっているものを最も簡単に知る機会でもあると思う。ギャンブルの強い弱いは人間の性質のうち非常にシンプルな部分で決まってくるが、それはギャンブルだけでなく、ビジネス、人間関係、いろいろなところに影響する。

本書を読んだところで、ギャンブルは強くならないし、ビジネスも上手くはならないだろう。ただ、ギャンブルもビジネスも意外とシンプルなところで差が生まれているのだということに気づく。ノーバイアスで読むならば面白い本だと思う。

p67~のソニーの話、「不良社員」の話は確かになるほどなと改めて思った。自分の経験からもそうだが、働きアリばかりでは何も生み出せないことが多い。「はみ出ている」ことや組織の多様性というのは非常に重要。それが"体感"として分かるようになると職場もだいぶ楽しくなる。

“見かけ上、遊んでいるように見える社員が不良社員かと言えば、全然そんなことはない。むしろ一日中デスクにかじりついて熱心にキーボードを叩いている人が、実は無駄な資料ばかり作っていたりするものだ。”

あとは、“一勝九敗”。この発想を持てるかどうかがポイントだなと再確認できる一冊でした。


最後に、本書にはコンパクトながら非常にいい名言があったので引用しておく。

“確実なことばかりを積み上げようとすればするほど、人間は負けるようになっている。生きていく上では、たとえ不確実と思われるものにでも賭けなければならない時がある。”

このことば(特に前半)は実に切れ味がいい。
 

Tuesday, January 05, 2010

初売りに思う

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年始に思ったことの書きとめその2


例年ほど時間は取れなかったが、3日の午後は買い物に行った。
今年は去年よりさらに足取りが重くなり、結局行ったのは伊勢丹メンズ館とInternational Gallery BEAMSのみ。
昔から行っているがこの2店は本当にいい。最高に面白い。よくこれだけ一つの店に多様なアイテムを集めたなという感じ。学生の頃のようには時間がない人にピッタリ。
ただ、最近思うのは、怠けているなということ。もちろん自分のことだ。ファッションってやっぱり「足」だと思う。これは物理的に歩くということだけでなく、いろいろな店でいろいろなアイテムを見ていろいろなinspirationを生んで楽しむことが大事だということ。もちろんnetでファッション関連の情報を集めることも。
最近は原宿の遊歩道をぶらぶら歩くこともないし、代官山や中目黒にも足を伸ばしていない。メジャーなセレクトショップをゆっくり一回りすることもしないし、ユニクロ、H&M、Forever21などの動きを定期的に観察するなどということもない。ある「決めた」信頼のおける場所でちょこっと歩いて選んで買うだけだ。

shoppingではなく、調達・準備・散財といった単語の方がはまりそうな勢いだ。ファッションとか買い物ってもっともっと楽しいはず。お金を使うという行為の満足感とは圧倒的に違う次元に楽しさがあるもの。忙しさに負けてそれを見失ってしまってはそれほど寂しいことはない。形骸化した値札付きのファッションで身を纏ってもしょうがない。
店に行く時間は極度に少なくなったが、この初売りで様々なアイテム、多くの大学生ぐらいの買い物客、いろいろな店の紙袋を見て、自分は買うという行為ではなくファッションが好きなんだということを思い出した。

情報過剰の時代。scopeはいたずらに広がりがちだが、好きなものにはしっかりとライトを当てる。それが正直な生き方としていいんじゃないだろうか。無意識的に生じてくるピントのズレを修正するのは自分だ。

この1月、もっと楽しくshoppingに出よう。
 

Monday, January 04, 2010

同窓会に思う

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今日は仕事始め。短い休みではあったが、正月という普段とはちょっと違った区切りの時でもあり、思ったことを書きとめておく。


2日に新年早々高校の同窓会があった。ちゃんとした会場でのちょっと大きな会だった。こういう規模では初めて。
一人ひとりを見ると当時とあまり変わらないようにも感じたが、一つの集団として見ると、その全体像はやはり変わったように思う。時計の針は見えないところで進んでいる。

高校の同窓生には、会社の同僚や大学時代の同期とは違う面白さがある。これは多分「多様性」に由来している。得意不得意が違って、人生の背景も違う人間が集まっているところに面白みがあるし、新しいものが生まれる予感もある。その点では中学校や小学校の同窓生の方がもっと面白いのではとも思うのだが、これは不思議、ただ多様性があればいいというものではないらしい。僕にとっては高校時代ぐらいのバラつきが丁度いいみたいだ。もちろんこれは交友関係云々とは次元の違う話だ。

多様性はあるものの、ある種独特な集団のキャラクターを感じることはできた。多様な人間をバインドしているものかもしれない。「ほのぼの感」だった。こうして超主観的に言うのもなんだが、僕の高校はいいやつが多い。そして僕はそんな母校が好きだ。僕自身もほのぼのとした人間なのかもしれないし、それが居心地の良さの源泉なのかもしれない。

一つの集団としての全体像が変わったように思えるのは、パッションが隠れたもしくは薄れたからだと考えている。高校時代は一人ひとりからパッションが漲っていたように思う。夢に満ち溢れていたようにも思う。この感覚を極端に言えば、渋谷や原宿の街を歩いているときに感じるものと大手町のビル群を歩いているときに感じるものとの差だ。大手町のビル群には四方八方飛び出すようなエネルギーを感じない。一方で渋谷や原宿の若者にはエネルギーがあるし、いろいろな人と夢がうごめいている。この感覚には、社会性や現実性の程度の議論では片付けてはならない本質が隠れていると思う。多くの人は、年をとると人生の舵の可動区域が狭くなっていく。それに伴いパッションは逓減し、エネルギー値が下がっていく。高校の同窓生の「ほのぼの感」、僕の好きなそれが昔より浮き立って見えたことであらためて気づかされた。

しかし僕はこれに抗いたいと思っている。エネルギー値を下げたくない。むしろ上げていきたいぐらい。人間が年を重ねていく上での摂理なのかもしれないが、この言わば"Time Dacay"に抗う方法はあるはず。意志と習慣と機会の積み重ねとによって(もちろんそれ以外の要素も)夢もパッションもより強く大きなものになりうるのではないか。機会は一人ではなく人と人とが創り出す。多様性を持った仲間が相互に影響し合って各々の夢を大きくできればいいなと思う。高校時代の友人にはそういう観点である意味期待しているし、僕も機会を創り出す人間であろうと思う。
高校の友人だけでなく、会う人の多くにおいて同じであることは言うまでもない。まずは自分からだが、集団の中の一個体としてのニンゲンに成り下がらないよう熱を持って舵取りをしていこうと思う。

最後に、忙しい中いい同窓会を企画してくれた幹事団には感謝。
 

Friday, January 01, 2010

謹賀新年2010

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Happy New Year!

今年の年末年始は4日間しか休みがなく慌しいものの、2009年始めとはだいぶ違った形で年越しの瞬間を迎えることができました。いい意味で。
数字的な区切りもよく、何だかいい年になりそうです。このBlogも細々と更新していきますので今年も宜しくお願いします。

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2009年の1年間は本当にあっという間だったように感じる。

「ただただ、時は過ぎていく。」

そう言えてしまうような淡々とした1年だった。
これには危機感を感じずにはいられない。
毎日は何となく忙しい。やることは多い。ただ、後になって振り返ってみてそう感じてしまうのは、強烈なパッションがないから。感情の大きな動きがないから。
どこかの本にも書いてあった気がするが、人間、インパクトがあったことしか覚えていないものなのだ。死ぬほど努力したこと、辛かったこと、恐れながらも挑戦したこと、緊張したこと、鳥肌が立つぐらい感動したこと…そういうことをどんどん増やしていかないと、淡白な、つまらない「並」の人生になってしまう気がする。人生の考え方は人それぞれだが、僕はもっと感情の振幅の大きい、印象的な人生にしたいと思っている。2009年はちょっと薄すぎた。普通すぎた。今年はそこを見直す1年にしたい。

New Year's Resolution
新年の抱負は、大きくはそんなところだ。

意識は上記の通りだが、方針について具体的にもう少し書くと、以下の大テーマとその下にある2つの小テーマを意識しようと考えている。

▼大テーマ

「収束の年」

僕は発散と収束を繰り返して成長していっていると考えている。多量の情報をinputして、いろいろなことに手を出す。そうした「発散」は必要なプロセスだと思っている。続けている。けれども、ある周期でそれを「収束」させていかなければ何も残らない種蒔き屋になってしまう。感情の大きな動きだってない。実は「発散」させることは誰でもできる簡単なことで、「収束」こそが勝負、その人の実力を決める部分だと思っている。収束には勇気とエネルギーがいるのだが、次の発散・収束のサイクルのためにも、今年は収束を意識するべき年だと考えている。

▽小テーマ 1

「一つの仕事の完結」

今はマーケットリスク関連の仕事をしているが、おそらく今年で一区切りを迎える。この仕事を終えて次のフィールドに進むときに、どういう経験値を持っていけるか。それはこの1年にかかっている。基礎ができ、点と点とが繋がり出した時が勝負。成し遂げる年。結実させる年。

▽小テーマ 2

「音楽への取り組み」

仕事外のこと。でも僕にとっては大事なテーマ。仕事外のことゆえ、相当な意志なくしては何もできない。
時間資源は僅少。毎日深夜帰りだとしてもここに絞ることで何かクリエイティブなことができると思っている。2つのテーマ、どう折り合いをつけていくのかは難しいところだが、欲張りはやめ、「発散」を少し抑えていこうと思う。