Tuesday, April 29, 2008

Architecture Now!

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Architecture Now! vol.2  <Philip Jodidio>

またまた建築の話題。
3ヶ月ぐらい前に購入し、暇なときに読んでちょくちょく楽しんでます。
この1冊に、新進建築家から巨匠まで、多くの建築家の作品が詰まっている。写真も多くて大満足すぎる1冊で、感性の肥やしになってます。
日本からは
 ・TADAO ANDO
 ・SHIGERU BAN
 ・TOYO ITO
 ・REI KAWAKUBO
 ・WARO KISHI
の5人が pick up されている。
川久保さんはコムデギャルソンのデザイナーとしてはあまりにも有名だが、建築にも関わっているらしい。本書内には、
"Although she is of course best known as a fashion designer, she has long had an interest in furniture and architecture."
と表現されている。

個人的にはこの5人の中では、岸和郎さんの建築(というか家)が大好きだ。
「深谷の家」とか「苦楽園の家」とか最高。

HP : http://k-associates.com/

是非上のHP内の作品一覧で岸和郎建築を堪能して下さい。
"VIA BUS STOP" の各店のプロデュースも岸さんだったとは知らなかった。


ところで、本書の表紙の家は誰の作品か知ってますか?
RICK JOY の "Tyler Residence" in Arizona です。
この RICK JOY はアリゾナ州で活躍している住宅中心の建築家で、もとはウィル・ブルーダーの事務所で働いていたらしい。そして面白いのが、もともとは音楽を専攻していたり、大工の経験があったりと建築設計一本槍ではないところ。
本書には
"RICK JOY's first working experience was not as an architect, but as a musician and a carpenter in Maine. He obtained his degree in architecture in 1990 and spent three years in the office of Will Bruder, working on the design team for the Phoenix Central Library."
とある。
様々なものに触れ、色々な経験を持つ人は感性豊かな人が多い。
人生、回り道に思えたときこそ、収穫は多いのかもしれない。

RICK JOY はこんなことも言っている。(本書より)
"Bold, modern architecture that is rooted in the context and culture of its place and that is developed in combination with the basics of proper solar orientation and site protection, and the responsible use of sensible materials and fine craftsmanship, will have the quality to withstand the tests of time."

何とも素朴でいい。
ちなみに"Tyler Residence"の裏側および内装はこんな感じです。
Photographer
Jeff Goldberg - Esto
  
 

Sunday, April 27, 2008

HARRY SEIDLER

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写真はハリー・サイドラーの "BERMAN HOUSE" in Australia
こんな家に住みたい。
「自分の家」のプロデュースというのは僕が人生で非常に楽しみにしていることの一つだ。

さて、この日本という国土の狭い地震大国に生まれて、どのようにドリームハウスプロジェクトを実現するか…。
場合によっては海外…そんな選択肢も出てくるかもしれないが、生活の拠点として日本が大好きな僕としてはドリームハウスのために生活拠点を海外に移すということは、家の目的を考えると本末転倒な発想かもしれない。
場所の問題はさておき、「建築力」と「資金力」が必要であることは想像に難くない。建築力というのは今勝手に書いた造語で、自分の求める機能とデザインを具現構造化する力。(また具現構造化などという勝手な造語を作ってしまった)
建築には興味があって大学に入ってからでも選択することは可能だったのだが、結局バイオを選び、しかしまたまた結局バイオも quit してビジネスの世界に入った僕がまた建築を一からやるということはかなりぶっ飛び感がある。しかも、僕が好きな名だたる建築家のような才能が自分にあるとも思えない。
となると、「建築力」に関しては他の人の力を借りるしかない。
とりあえずは、建築をやっている友人10人弱の鬼才開花を切に願いつつ、僕は資金力をどうにかしなければならない。

起業 de IPO か…
金儲けのための起業には興味がないんだが、芸術的な家々を見ていると、目的は金ではなくドリームハウスプロジェクトなのだと言い聞かせ、上限つきの金儲けをするならそれも悪くはないかもしれないとも思えてくる。これも一種の物欲なのかと思うと恐ろし…


まあしかし、何にしても当面は無理そうなので、ひたすら鑑賞に励んで感性的栄養補給に勤しもうかと思います。

サイドラー建築の「家」をいくつか pick up!

  Hamilton House

  Rose House


集合住宅でもいいです。

               "North Apartments" in Sydney

コンクリートが波波しちゃって…
ワクワクしますね。生活が。

Harry Seidler and Associates
 

Sunday, April 13, 2008

Beach World

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「ビーチ・ワールド」ってご存知?
3,4年前に少しばかり世間を沸かせたという記憶がある。
当時かなり興味を持ったのだが、それほど安くもないので買おうかどうか迷っているうちに忘れてしまっていた。
そんな名前も忘れていた「ビーチ・ワールド」を最近、ひょんなことで思い出してググってみると、どうも売り切れ中な模様…
今すぐに欲しいというわけではないが、やはり興味はある。

ところでこのビーチ・ワールド、上の画像からはオシャレな熱帯魚飼育キットみたいなものを想像されるかもしれないが、不思議な「飼育キット」なのだ。
不思議で魅力的な点は2つ。
第一に、餌をやらなくても小エビが生きていけるという点。
第二に、水を換えなくてもいいよいう点。

このガラス球体(小さな地球)の中には小エビや藻、バクテリアなどが生息しているのだが、
藻が光合成で酸素を作り出す
⇒小エビが呼吸可能
⇒小エビの呼吸で生じた二酸化炭素で再び藻が光合成
というようなサイクルができている。
と同時に、小エビは成長した藻を食べるため、餌をやらなくても生きていくことができるという仕組みになっている。
つまりは一定量の光とある程度に保たれた温度という2つの条件のみを用意すれば、あとは外界から何かを加えなくても、ビーチ・ワールドは平和な時を刻むことができるというわけなのだ。

ルナエンバシー社のWebサイトから引用すれば、

『ビーチワールドは、将来の宇宙探査やスペースコロニーで必要とされる「人類や植物、昆虫などの生命体がいきてゆくことの出来る人工生態系」の実現を目的として、BIOSPHERE2(人類が宇宙などで
完全密閉空間で生活できるのかというプロジェクト)の研究者によって開発され、NASAスペースシャトルとロシアのミール宇宙ステーション内での研究で利用されたものです。』

という代物。

いやはや、興味深い…
ちなみに、容器のデザインはいろいろある模様だが、個人的にはやっぱり小さな地球ということで完全な球体が好みです。

    
 

Sunday, April 06, 2008

Monkey Business

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サルになれなかった僕たち <John Rolfe , Peter Troob>

原著は“Monkey Business
日本では「ウォールストリート 投資銀行残酷日記」という題で単行本になっていたが、月日を経てそれが文庫化したのが本書。
外資系の金融機関にひとたびでも興味を覚えた方なら本書は非常にポピュラーなものだろう。
本場のアメリカでか日本法人でか、また外銀各社によってもだいぶ労働環境は違うのだろうが、投資銀行での生活がどのようなものなのかその一部分をおもしろおかしく垣間見ることができる。誇張されている部分もかなり多いし、愚痴の感が出すぎているところもあるが、そのあたりを割り引いて読むといいかもしれない。

内容にはただただあきれるばかり。もし本書の内容をそのまま飲み込むとすれば、投資銀行内で構成されるヒエラルキーの下層の人間が従事する仕事のひどさがこれでもかというぐらい伝わってくる。仕事と会社の奴隷。そして金の奴隷。
仕事を通しての自己実現と仕事に付随する要素(金や勤務地、労働環境…)、仕事外の生活(家族、趣味…)の充実という3つのバランスを考えるとき、外資系投資銀行は非常に分かりやすい位置にプロットされる。こうした極端な例はその3つの要素のバランスが人生の中で非常に重要であることを気づかせてくれる。推測にすぎないが、3つの要素すべてで最大値をとるということは不可能で、個人の人生観に応じて適切な位置に自分をプロットしなければならない。3つの要素のうち、「所得」という要素は数値化されていて比較が容易であるため、この部分だけで人生や生活の豊かさを比較してしまうということが起こりやすいのかもしれないが、それが間違いなのは明白だ。そういう視点を強く意識すれば、いたずらに人を羨んだり自分を卑下したりということはなくなるだろう。そして、「なりたい自分」というものを自分の軸で作り上げ、それに近づけるように邁進することができるだろう。極端な環境や人生の話を見聞きすることでそのような気づきを得ることができるのならば、このような本を読むことは有益だと言えるだろう。

ただ、本書は下品な表現があまりにも多いので注意が必要(笑)。
サルです、ほんとに。
 

Saturday, April 05, 2008

ショパンのバラード

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最近、高校のときに弾いていたショパンのバラード第1番を再び真面目に練習したいという気になりつつある。今日も久しぶりにピアノを弾いたのだが、無意識に最初に手にとった楽譜はバラ1だった。
何百回と弾いたであろう、そして聴いたであろう旋律は頭に完全に残っている。指の感覚も不思議と残っているもので、ミスタッチだらけながらも何となく弾くことはできる。ただ、練習時間もなくなり指が自由に動かなくなった今では自分の表現したいバラードと実際に奏でられる音とのギャップが大きく、少し気が滅入る。と同時に、自分の音が良く聴こえなくなるという現象が起きる。すなわち、CD録音の際の修正ではないけれども、耳の中に入ってきた自分の音を脳内で自分が弾きたいイメージの音に修正してしまうということが無意識的に起こる。自分一人で弾いている分には気持ちがいいのだが、聴き手がいると想像するとき、しっかりと自分の音を聴いて練習しなおさなければいけないなと痛感する。

ところで、ショパンが残した4つのバラードのうち、僕はこの第1番と第4番が圧倒的に好きだ。バラードの中でというだけでなく、ショパンの数多くの名作のうち好きなものを10曲選べと言われてもこの2曲は絶対に入る。第4番についてはまたいつか書こうと思うが、今日は上述のとおり、これから腰を入れて練習しなおそうとしている第1番について書くことにする。
ショパンのバラードはポーランドの詩人 Adam Mickewitz の詩に霊感を受けて作曲されたものとされているが、具体的にどんな内容が背景にあるかというのは完全には分かっていない。しかし、僕はショパンがこの曲を作るときに背景にしたものを必ずしも共有する必要はないと思っている。演奏家は往々にして作曲家がどういう背景の下で曲を作ったのかを深く理解し、それを演奏に反映させるということをするのだが、僕はとりわけこのショパンのバラードに関しては演奏者が個々の感ずる物語を曲に当てはめ、そのイメージで自由に演奏をするのがおもしろいと考えている。

"Ballade" は、「物語」を意味するフランス語が起源となっているようで、一般には物語詩、譚詩を指す。だが、もしバラード第1番に "Ballade" という題目がついていなくとも、僕はこの曲を聴いたときに「物語風」な何かを感じるだろう。それほど一つの曲がめまぐるしく何かを表現しきっている。
バラード第1番を聴いて何を感じるかは人それぞれなのだが、僕はこの曲に一人の人間の人生という少し抽象的な物語を感じている。50歳で死ぬ一人の人間が死ぬ直前に人生を振り返る、そんなイメージ。

死に対峙している人間が立つもの悲しい背景の描写から人生の回想が始まる。その人は希望に満ち溢れ、最も充実していた一時の日々を思い出し、そんな情景が次第に失われていく過程を回想する。回想の夢から覚めたとき、夢の終わりとともにその人の人生も幕を閉じ、物語は終わる。

これが僕がバラード第1番から感じる物語のアウトライン。物語とはそもそもフィクションのようなものでない限り、回想のような形式で語られるものだと思うが、僕のこのイメージの1番のポイントは人間が死ぬときに自分の人生を振り返っているというところにある。この曲の中間部の希望に満ち溢れた部分を弾いているとき、なぜだが涙が出そうな感覚になる。僕がイメージしている死を間近に控えた人間に感情移入してしまうのだ。旋律と構成が好きでこの曲を何度も弾いているうちに、僕は死ぬ直前に人生を振り返るということを擬似的に経験してしまったように感じる。親しい友人にはこんな視点を語ったこともあるのだが、この非科学的な感覚は現実の自分の人生にも少なからず影響を及ぼしている。
音楽的に好きというだけでなく、この曲は僕の人生観を語る上でキーとなる体験を提供してくれた大切な曲なのだ。

「聴く」方では、ルービンシュタインとアシュケナージをよく聴いている。というかほとんどそればっかり。
ちなみに、以下の2枚を聴いている。もう一つ大好きなスケルツォの方もこの2枚を聴いて育った。

    
 

Wednesday, April 02, 2008

ルーブル美術館展

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少し前だが、ルーブル美術館展~フランス宮廷の美~に行ってきた。
@東京都美術館

開催期間の最後の方に行くことになってしまったのだが、実は開催前から楽しみにしていたものだったので、行けて良かった。すごい人の入りようで休日は混みすぎてよく観れないという話を聞いていたので参っていたのだが、朝早く行ったせいかそれなりに観ることはできた。

    

左「ダイヤモンドを象嵌した飾り武器模様の嗅ぎ煙草入れ」

右「マリー・アントワネットの旅行用携行品入れ」

フランスの歴史・文化にはあまり詳しくないのだが、工芸すなわち「芸術性+機能」というものには非常に興味があるため、今回の展示も大満足だった。
展示されていたものはポンパドゥール夫人やルイ16世の妃マリー・アントワネットらの時代に作られたものがほとんどで、彼女らの趣味が色濃く出ている。金銭的な面で芸術家にも研究者にもパトロンが必要とは言うが、まさにそのとおりで、職人だけではなくパトロンの趣向が文化に大きく影響している。今回展示されていたものは美術品というよりは本当に実用的なものばかりで、ますます職人だけでなく「注文する人」の存在を感じさせられた。
当時はオシャレな家具・日用グッズを職人に作らせるという言わば能動的なことをしていたのに対し、現代ではインテリアショップなどで売っているオシャレなアイテムを受動的に買うということが多い。200年後に、今インテリアショップに置かれているような家具やアイテムが美術館に並ぶということはなかなか考えづらい。ショップに行けば欲しいものがたんまりと見つかる時代ではあるが、自分でオリジナルなものを作ったり、注文したりするのもいいと思う。むしろ自分はそうでありたい。そんなことを思ってしまう展示だった。
 
工芸についてはいろいろ書きたいことも多いのだが、あまりに時間がないので今日はこのあたりで。