Tuesday, March 25, 2008

ブルー・オーシャン戦略

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ブルー・オーシャン戦略 <W・チャン・キム&レネ・モボルニュ>

「ブルー・オーシャン戦略」という単語自体と、そこでの青い海が何を意味するのかということは広く世の中に知れ渡っている。僕もこの戦略論をかいつまんで説明したような本は読んだことがあるし、ブルー・オーシャンという単語もまるで広辞苑にでも載っているかのように当たり前のものとして使っていたのだが、訳本ではあるが大元を読んでいないというのは何とも…という感もあって読むことにした。

読んでみての感想は、素直に「勉強になった」。他の多くの企業戦略関係の書物に書いてあることのおさらいとして。また、いくつか新たな気づきを得ることもできた。
一方で、この本は下馬評ではそれほど絶賛されていなかったのだが、それも頷けた。
革新的かどうかという点で過剰な期待をしてしまった読者からすれば、「ブルー・オーシャン戦略」という題名と青い海の表紙をつけてこの本を世に出したことこそが、ブルー・オーシャン開拓だよ…と揶揄したくもなってしまう。それほど、企業戦略を語る上で「ブルー・オーシャン」、「レッド・オーシャン」という言葉は言い得て妙で、しっくりくる。
ためになる本だとは思うが、読者が1ページ目を開く前にハードルが高くなりすぎてしまっている。

ところで、この本で語られるブルー・オーシャンとは、レッド・オーシャンから一歩抜け出したところに開けているもの。レッド・オーシャンというのは簡単に言えば、市場構造は変わらないという前提のもと、既存の市場空間で一定の富(シェア)を他社と奪い合うという血みどろの状態だ。プレーヤーは低コストと差別化のどちらかの戦略を選んで他社に対して優位に立とうとするが、市場が成熟していくと、結局はどのプレーヤーもジリ貧に陥る。これに対してブルー・オーシャンでは競争は無意味化されていて、競合他社をベンチマーキングすることもない。 value innovation によってトレードオフとされてきた差別化と低コストを同時に実現し、莫大な利益を生む。
こんな最高の青い海を体系立ったプロセスで見つけることができるというのならそれはそれはすごい戦略論だろう。しかし、そんなには甘くないのは世の常だ。

戦略策定後の実行プロセスに現実的な難題がつきまとうのは想像に難くなく、この部分についても本書は多くを述べているが、抽象的な話も多く、期待しすぎていると裏切られる。冷静に考えれば実行プロセスを確実に成功させるような普遍的なやり方があるとは考えにくいのだが、期待してしまったが故にがっかりするというありふれた現象が読者に起こる。
加えて、上手く戦略を実行できたとしても他社に簡単に模倣されてしまってはどうしようもない。これについても、ブルー・オーシャン戦略が模倣されにくい理由というのが挙げられているが、どうも安堵の気持ちにはなれない。本書では、価格設定を上手くやれば一気に突っ走ることができ、2番手以降は到底勝てないということの説明がなされているが、そこの議論も非常に興味深いものの、それほど目新しい考え方ではない気がする。


…というように何だかスッキリしない感もあるが、それは期待過剰で、そもそも爆発的な利益が出るような戦略の策定にそんな普遍的超攻略法が確実に存在するはずはない。もしあるのなら、みんながみんな本書を片手に利益をあげていっているはずだ。

僕の場合、発行されてからかなり経って本書を手に取ったので、当然前評判は知っていたわけで、最初に書いたとおり、素直に勉強するというスタンスで読むことができた。
以下、面白かった手法、考え、トピックを列挙しておく。

・戦略キャンバス
・4つのアクション(「減らす」、「取り除く」が極めて重要)
・戦略策定には順序が大事だという話
・ネットワークの外部性
・コストプラス方式での価格設定ではなく、価格マイナス方式でのコスト目標を設定するという話


精読してもさほどは時間がかからない分量だし、本書を読んだことがない方には、革新的な戦略論による刺激を過剰に期待することだけはせずに一度本書を読むことをおすすめします。事例も豊富で面白いとは思います。
 

Friday, March 14, 2008

Rachmaninov Piano Concerto

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Sergey Vasilievich Rachmaninov
Piano Concerto No.2 in C minor 1st movement
Player : Rachmaninov


ピアノは独奏の方が好きなのだが、ラフマニノフのピアノ協奏曲は何度聴いてもいいぐらい好きだ。
特にこの第2番の第一楽章はたまらない。ラフマニノフの世界観に吸い込まれる。
聴く度に旋律に合わせて深い苦悩と情熱を含んだ物語がフラッシュバックされるような感覚が起こる。

この録音は composer としてだけでなくピアニストとしても優れていたラフマニノフ自身の貴重な演奏。
名だたるピアニストたちが演奏してきたこのコンチェルトだが、作曲者自身の奏でる音を聴くというのは、また格別のものだろう。かなり古いものゆえ、録音の質が良くないのだが、そこはいいスピーカーなりヘッドホンで聴いて、それ以上音質を落とさないようにしたいものです。
何でここに載せたかというと、素晴らしいからです。ただそれだけです。

のだめカンタービレの中で千秋真一が弾いていたのでそれなりに有名かもしれませんが…。
ちなみに千秋真一役の玉木宏が本当に弾いているはずもなく、吹き替え演奏をしていたのは清塚信也で、中村紘子にも師事していた若手ピアニスト。
 

Thursday, March 13, 2008

どうなる?米ドル

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ドルの下落が止まらない。
注目はしているが、専門的な知識はそれほどないので雑記として。

東京外国為替市場で円相場が1ドル=99円台後半まで上昇した。夕方の話。
外為には2年ぐらい前から興味があり、ここ1年もとりあえず1日1回は 外為.com でレートをチェックしていたのだが、とりわけここ3ヶ月のドル円の動きはすごい。個人的な好みで長く注目してきたのはユーロ円だったのだけれども、前記のラスベガス旅行もあったりで今年に入ってからはドルの動きに最も神経を注いでいた。
サブプライムなどのアメリカの金融不安もあったし、1ドル=115円ぐらいのときから米ドルはだいぶ下がるんだろうなと友人と話していたのだが、こんなに早く100円を切るとは…
他の通貨との兼ね合いを見るとユーロも長らく続いたおかしな単調上昇のピークに比べればだいぶ下がっているし、豪ドル、ポンドなどを見ても、確かに円高な感じはある。しかし、そんなの関係ないぐらいの勢いでドルが下がっている。こんなに外為市場が動いているのも円ではなくほとんどドルの影響。
米ドルというのは怖い通貨です。

ところで、この流れ、まだまだ加速しそうだという見方が強いようだ。
それもそのはずで、どうやら FRB はまだまだ利下げを行うらしい。日本がほとんどゼロに近い金利を続けている一方でアメリカの金利は高かったはず。2006年の6月に5.25%に達してから1年以上、去年の8月まで同じ金利に据え置かれ、日米の政策金利との差は相当なものだった。それがサブプライム問題もあって米国の政策金利は一気に下がり始め今年の1月にはついに3%。このまま日米の金利差は2%以下になる可能性もかなり高いと言われている。金融不安解消のためというのもあるのだろうけど、これじゃあ誰でもドルを持っていてもあんまりオトクじゃないと考えてしまう。
いったいどこまで下がるのか、気になるところです。その辺見極めてドル買おうかな…

1ドル=97円まで下がると、旅行に行ったときより約10%円高ドル安ということに。
旅費が20万円だとすると、同じ旅行内容で18万円ぐらいで行けるということか。
そう考えるとなんだかイタイです。。
 

Saturday, March 08, 2008

チーム・バチスタの栄光

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チーム・バチスタの栄光(上)・(下) <海堂 尊>

題名と表紙の通り、医療系ミステリー。
去年買ったにもかかわらず、読んだのは最近という謎のタイムラグがあったこの小説だが、この手のものとしては面白かった。
ドラマにしても小説にしても、メディカルの現場、特に外科医モノは昔からわりと好きで、今回も「バチスタ」という題名の単語を見て思わず買ってしまった。
医者モノは凡庸な作品も多い中、本作品が面白かったのはキャラ作りにあると思う。冷静なタイプで、主人公にならなかったとしてもいつも独り言のようにあれこれ考えていそうな田口の視線でストーリーが進められていくというのが一つ妙にしっくりくる。一方で、ロジカルモンスター白鳥のキャラが強烈に立っていて爽快。白鳥の頭の中はロジカルとかそういう域を脱していてぶっ飛んでいる。そんな白鳥の表面的な部分が非常にハチャメチャなところがなんとも絶妙なアンバランスさをものにしていて気持ちがいい。
病院長もいい味を出していた。

ミステリーとしてだけの評価なら、仕組みも大したことがない作品なのかもしれないが、全体で見るとよくまとまっていて、気づいたら読み終わっているという、面白い小説の良きパターンだと感じた。
この小説は同著者の「死因不明社会」へとつなっがっているが、現代の病院と死の在り方における変なところが伝わってきた気がする。本作品内でも、上巻の時点から何で解剖しないの?と思い続けていたら、やっぱりそこは key になっていた。解剖医学や法律なんかにも興味が湧いた作品だった。

ハイペースで執筆を続ける作者の海堂さんには今後も期待。
 

Friday, March 07, 2008

傘に機能をプラスする

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今日は参ってしまった。
天気予報ではおそらく雨は降らないだろうということだったのに、夜遅くになって降り出してちょうど帰るときに雨にあたってしまった。3月とはいえ、夜の雨はかなり冷たい。
こんなときはビニール傘の1本が非常にありがたいんだけれども、普段はどうにも傘を持って出かけるのはテンションが上がらない。外へ出るといったら電車移動が基本な僕は、傘をさしている時間、傘立てに立てている時間に対して、使わずに手に持っている時間というのがけっこうある。電車の中での時間というのはけっこう貴重なリソースでもあるので、本を読んだり、死ぬほど疲れているときは寝たりしたいのだが、そんなときに傘があるとけっこう不便だったりする。電車内のシートの端の席は傘がかけられるという理由で、雨の日は晴れの日の3倍ぐらいの人気を呈していると、僕は睨んでいる。

そんな傘だが、以前から欲しいというか注目している傘がある。
“Stand Umbrella” design: 坪井浩尚


この傘、その名のとおり自立する傘。傘の先の部分が3つに割れていて、バランスがとれるようになっている。先の部分がちょっと邪魔かもしれないけれど、これはかなりクリティカルな idea だと思う。
傘が誰にも迷惑をかけずに自分で立っていてくれる。ありがたいことではないですか。

バランスを見ると、どうもギリギリ立つぐらいにしか見えない。電車は加速度運動をするので慣性力が生じるし、大きな揺れもあるだろうからあまり実用性がないように感じるかもしれないが、そういうときは、3本の足を人間の足でそっと押さえてやればいい。モーメントというやつを考えたときこの効果ははかりしれない。
いい傘です。

傘を紹介することになったので、ついでにもう1本、ちょっと機能が付加された傘を。
“±0” の Umbrella  design:深澤直人

             
±0 はお馴染みかもしれないけれど、持ち手のところに小さなくぼみが。
傘を閉じてもっているとき、ちょっとした袋なんかをここにかけられるようになっている。
傘をもってるときってとにかく手の片方はうまってしまっているわけで、こういう全然大したことないのかもしれないけど一工夫がありがたい。ちなみに負荷は5kgまでいけるらしい。

モノが良くなると、人間は弱体化?してしまうのかもしれないけど、やっぱりこういうモノが世の中に出てくるっていうのは嬉しいものです。
 

Wednesday, March 05, 2008

“地球”を感じたその景色

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前回はラスベガスのカジノでの所感を記したのだが、旅の目的はどちらかというとラスベガス周辺にあるいくつかの国立公園に訪れることの方だった。旅自体はプライベートなところでもあるが、せっかくなのでこの目で見てきた雄大な自然についてもここに書いておくことにする。

<File#1> Grand Canyon National Park


言わずと知れた「地球の名所」。僕は子供の頃からここを自分の目で見るのが夢だった。
ラスベガスから車で5時間ほどで、サウスリムと呼ばれるエリアに到達する。写真はそこからの眺め。
この風景が自然に作られたということを考えるとき、人間の存在の小さいことをまざまざと思い知らされる。小さいというのは4次元的な小ささだ。縦横高さ、当然大きさのスケールは比べ物にならない。ただ僕がもっと比べ物にならないと思うのは時間軸の話。ここにある土や岩は地球の歴史を知っている。
地球の歴史をともに経験していない僕たち人間は地球のことを本当の意味できっと理解しえない。がんばって理解できるのは人類の生活空間としての星、そんなところだろう。
4次元の圧倒的スケールの前に立ち尽くす他なかった。この歳、この瞬間に地球の歴史の1ページを見ることができて本当に良かった。

<File#2> Zion National Park


古代ヘブライ語で聖域を意味する“Zion”
神の棲む山として何とも畏怖の念を感じずにはいられない佇まいだった。
訪れた日はもともと天候があまりよくなかったのだが、車で近づく僕たちを簡単には受け入れないかのように雲をはり、視界を悪化させ、光を遮った。
表情豊かな巨大岩の数々はそれがどのように形成されたのかまったく想像ができないほど芸術的な切り取られ方をしていて、自然に侵食されてできたと考えるよりは神の存在を感じずにはいられなかった。
グランドキャニオンではその圧倒的なスケールの前に息を飲んだが、ここではその神秘的な風景に魅了された。僕にとって地球上で最も大事な風景の一つになるであろうことが直感的に分かった。
四季の表情の変化が有名なこのザイオンに再び訪れてみたいと思ったのは言うまでもない。

<File#3> Death Valley National Park


シエラネバダ山脈東部に位置するこの国立公園は全米の国立公園中最大の面積で、とにかく広い。
その名のとおり、この場所は過酷な環境だ。公園内には海抜高度3368mのところもあれば、一方で海抜高度がマイナス86m(西半球最低)のところもある。
砂漠が広がる中に部分的に水がある風景は何とも不思議だが、この水は塩化ナトリウム濃度が以上に高い。デスバレーの低地全体に広がる白い色も「塩」だ。ここは昔海水に浸っていた場所で、今こうした風景が広がった経緯は複雑を極める。ここでもまた4次元スケールの大きさを目の当たりにする。
これは個人的な感想なのだが、一見無味乾燥地帯のデスバレーからは不思議なエネルギーを感じた。デスバレーと言われるぐらい地上の何もかものエネルギー源が吸い取られたこの土地から逆に何か地球の生命のエネルギーのようなものを感じたのだ。
1日しか滞在しなかったので、とてもその広大な場所を理解するには至らなかったが、地球上にこんな場所があるということだけは五感をフルに使って感じることができて良かった。



▼対比
ラスベガスというのはおかしな町だ。こんな大自然に囲まれて、しかも砂漠の中にポツリとある。
国立公園から夜にラスベガスへと帰る際には毎回必ず真っ暗な闇の中に、局所的に集められた光の点を見た。
地球を体全体で感じてからそのような光を見ると何だか滑稽に感じずにはいられない。雄大で、人間のもつ技術とかそういう小さなものを遥かに超えた地球の一部分と人工的なネオンの光の集合体との対比はとてつもない不協和音を鳴らしているような気がする。町に帰ってラスベガスの綺麗な夜景を見ると人類の営みとは一体何なのかということを考えさせられた。

STRATO SPHERE TOWER からの夜景


写真は他にも少しですが、Flickr に up してあります。よろしければ Blog の右サイドバー内のリンクからご覧ください。まったくどの国立公園もカメラが無能に感じてしまうぐらい写真には納まらないスケールでしたが…
 

Saturday, March 01, 2008

ギャンブル小話

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カジノが合法で、代名詞とも言える街ラスベガスに行ってきた。
そこで考えたことを記録しておこうと思う。

ギャンブルをするときに目的を明確にしている人は多いでしょうか?
ギャンブルの目的なんて単純で、お金を増やすことかゲーム自体を楽しむことぐらいだから、誰だってある意味目的もってやっているともいえるかもしれない。しかし目的を明確にするとなると話は別で、これができている人は思いのほか少ないのではないかと思う。
勝つことを目的にするならば、楽しさを追ってはならない。楽しむためにギャンブルをやるならスケアードマネーには決して手をつけてはならない。そして負けは遊戯料だと思って潔く認め、後悔はしないことだ。
ここをきっぱりできない人はあまりギャンブルに向いているとはいえないだろう。

今回はラスベガスのような大型カジノ都市を舞台にして、勝つことを目的とする場合のスタンスを考えたい。
まず、「勝つ」という概念を定義しなければならないが、ジャックポットを当てたときのような大勝は狙ってできるものではないし、本当に運のみの話になると思うので、ここでは元金を一定期間のプレイの後にプラスにするということを「勝ち」とし、これを目標にする場合を考える。
ちゃんとしたギャンブルには必勝法は存在しないのだが、勝つ可能性を上げるにはどうすればよいかを考える。各ゲームに対して、ペイバック率をコンマ数パーセントでも上げるような戦略論はいたるところで議論されているが、多くの人にもっと大事なのは精神的な要素やゲームに入る前のスタンスだろう。だから超上級の戦略や確率といったものは他の研究者にまかせて、僕はその点について書く。

最初に、勝つことを目的としてカジノでギャンブルをやる際のスタンスとして重要なことをまとめて3つあげる。

①率が良くて得意なゲームはやる。率が悪くてあまり知らないゲームはやらない
②勝ち逃げは当然
③感情を断ち切る

順に見ていく。

①率が良くて得意なゲームはやる。率が悪くてあまり知らないゲームはやらない
カジノというのは開く側にとってはビジネス。儲からなくてはビジネスにはならない。ただ、トータルで儲けられれば中身のバランスはそれほど重要でない。これが基本だ。
カジノにはスロットマシンやビデオポーカーのように機械を相手にするタイプのゲーム、クジのようなゲーム、そしてテーブルゲームと、様々な種類があるが、緻密な確率計算のもと、それぞれペイバック率というのが決まっている。スロットマシンのペイバック率は最悪、クラップスやBJ、一部のビデオポーカーはかなりいいというのは常識だろう。ビデオポーカーにいたってはペイバック率が100%を超える台すら存在する。ところがカジノの経営上、こういう台を置くことはさしたる問題ではない。他のペイバック率の悪いゲームでいくらでも客からお金を抜くことができるからだ。
したがって、「勝ち」を目標にした場合、ペイバック率の悪いゲームをやっていてはまず話にならない。スロットマシンは手軽で楽しいし、ジャックポットの可能性もある。しかしスロットマシンをやることは、すでに目的達成への道から外れている。もちろんカジノを楽しみたい人はいろいろなゲームにチャレンジして自由な時間を楽しむべきだ。

②勝ち逃げは当然
勝ち逃げというのは何だか気が引けるものだ。大きく勝った瞬間にそのテーブルを立ったり、はたまた小さなプラスでやめて小額の勝ちを確定するというのはどうもケチくさいのではないかという思いに駆られる。しかし、「勝つ」ためにはこの勝ち逃げのスタンスは基本となる。
ゲームを熟知し、基本戦略に従ってプレイをすればペイバック率はかなり高くなり、ゲームの種類にもよるが、97%や98%といったほとんど五分の勝負になる。このペイバック率というのは確率計算上の話なので当然有限試行ではムラが出る。したがって始めのうちは元金に対して浮くときもあれば沈むときもあり、試行の回数をずっと増やしていけばジリジリと負けていき、最後はペイバック率に収束する。この浮いたときにやめられるかが一つのポイントであり、プレーヤー側の権限として最も強力なものだ。ディーラーや運営側は自分の判断でやめることができないが、客はいつプレイを終了してもいいのだ。プレーヤー最大の利点を安易に放棄してはならない。勝った瞬間にやめよう。そして浮いた瞬間に席を立とう。それが確率的な不利さを超えるための一つの重要なスタンスだ。
例えばルーレットのケースを考えたい。0、00、1~36の計38個の目に対し1点で賭けて当たったときの収益は36単位。普通に考えれば、ペイバック率は 36/38 で95%以下。とても勝てるゲームとは言いがたい。しかし、プレーヤーの強みはいつでも試行をやめることができる点。毎回1点で賭け続け、例えば25回目に当たってそこでやめてしまえば収支は大きくプラス。こういう有利さを意識してゲームを選び、プレイすべきだ。
「勝つ」ことを目標にするのなら、プラスはこつこつとでいい。大きなプラスを求めるとそこにはかならず大きなマイナスの可能性が潜んでいる。

③感情を断ち切る
機械のように基本戦略に従ってこつこつとプレイするのは正直楽しくない場合が多い。たまには、何か自分の予感を信じて illogical な張り方をしたくなる。しかし、こういう気分転換的な数回のプレイがそれまでの着実な結果を台無しにしてしまう。それをしているうちはまだ本当に冷徹に「勝ち」を目標にできているとはいえない。
今回のラスベガス旅行では僕は楽しむことを目的にカジノにいたので、illogical なことはいろいろやった。ペイバック率の低いゲームをやったり、確率的には不利な賭け方をしたりといった具合にだ。その中で最も損失が大きかったのは、ルーレットの赤黒で大きく張ったときと、BJでマーチンゲール戦法を試したときだった。
まず、ルーレットの話。ある時点までは基本的な出目の傾向などを押さえて、確率の高いところに広く賭けてそれなりにこつこつと収益をあげていたのだが、ふと気がつくと赤が連続して8回も出ていた。もともと赤黒で賭けて盛り上がっているプレーヤーもいたが、さすがにヒートアップしてきてテーブル全体が赤黒だけのゲームかのような異様な空気を持ち始めた。このとき僕も何かの予感がしてそろそろ黒がくるだろという思いに駆られてそこから赤黒賭けに参加してしまったのだ。この後黒には各プレーヤーから多大なチップが投入されたが、結局赤が11連続で出るという結果で終わった。僕も黒に突っ込みすぎて、すっかりスッカラカンになってしまった。こんなときに口からでるのはたいてい、「まさか11回も連続で赤がでるとは」だとか「18/38の11乗だよ、ありえない」という言葉だろう。しかし、これは大いに間違っていて、反省しなければならない言葉だ。あらかじめ決められた11回の試行で全て赤が出るというのは上述の確率のとおりで、非常にめずらしい。しかし、自分の目の前で起こった11連続赤という事象は実際にはもっと大したことがないものなのだ。そのルーレット台の長い歴史を考えれば11連続で赤がでることぐらい大したことではないのだ。
例えばそのルーレットが1時間に30回のペースでまわり、24時間、365日、20年間稼動しているとすると、今日までに500万回以上の試行が行われていることになる。その500万回のどこかで赤が11回連続になっている確率なんて相当大きい。めずらしくもなんともないのだ。
1回1回の試行が独立であることを忘れ、自分勝手な間違った解釈で次はそろそろ黒だ!なんて考えると一気に負けてしまう。感情的にならず冷静でいなければならない。
同様に、マーチンゲール戦法も危険極まりない戦法。いわゆる倍プッシュで、1回でも勝てばそれまでの負けを取り戻し、1単位だけプラスになるというこの戦法は、予想を超えて連敗して手持ちに底が見えたときに破綻する。この戦法をとりたくなってしまうのは、五分の勝負で7回も8回も連敗しないだろうというような勝手な確率計算が原因だ。確かに特定の8回の試行で五分の勝負を8連敗する確率は 1/256 だが、数多くの試行をするなかで、たまたま8回連続で負ける箇所ができる確率は格段に高くなる。

「勝つ」ことを目的にした場合、一時の感情や正しくない確率計算をベースに賭けることは確実に失敗をまねく。まともなカジノに簡単な抜け道はなく、プラスにしたいのなら正しい確率のみを信じ、感情に流されることなく冷徹に試行を繰り返すしかないのだ。
上の①②③をしっかり意識してプレイするなら、「勝って帰れる」確率は高まるだろう。

以上、書き殴りですが。。